ふりゆくもの

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競技終了後のアスリートへのインタビューについて

 

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少し前に、平昌五輪での演技終了直後の宮原知子選手へのインタビューについて私が思ったことをツイートしました。ここで、まとめておきます。

  

  

 

「残念な結果」と「おめでとう」


アスリートへのインタビューについては、前々から思うところがありました。

平昌五輪でも、色々と思うところがありました。

 

その中でも、フィギュアスケート女子シングルフリープログラムの演技直後の宮原知子選手へのインタビューをした2人について書こうと思います。

 

この2人は対照的でした。

 ご存知の方も多いと思いますが、先にインタビューをしたインタビュアーが「宮原選手にとっては残念な結果となってしまいましたが」と言ってしまいました。

そのあとで宮原選手にインタビューした松岡修造さんが「おめでとう!」と言ったことが視聴者から称賛されたようです。

 

 


インタビュアーが先に評価を口に出してはいけない

 

私は、「残念な結果」と聞こえたときに、残念な気持ちになりました。

 

まだ宮原選手のコメントを聞いていないのに、なぜ宮原選手にとって「残念な結果」となったと言えるのですか。それを決めるのは、あなたじゃない。

あなたは、宮原選手の演技を見ていなかったのですか。演技終了直後の宮原選手のガッツポーズと表情を見ていないのですか。あれを見て、なぜ「残念」と評価するのですか。

 

4位だから、メダルにギリギリ届かなくて惜しかった、という気持ちがあるのは分かります。しかし、選手本人がそう評価する前に、インタビュアーが先走って評価して言っていいことではありません。

インタビュアーがインタビュー対象の発言前に評価を口にしては、インタビュー対象が言いたいことを引き出せません。

「残念な結果でしたが」と水を向けられれば、そちらに引っ張られてコメントをする選手もいると考えるからです。

 

見ている人が評価をしてはいけないと言っているのではありません。選手の気持ちを聞きたくてインタビューをするインタビュアーは、選手が自ら評価する前に、その選手について評価した発言をするべきではないと思うのです。

 

松岡修造さんの「おめでとう」も、選手が言葉を発した後に言うのがベストかと思いますが、演技や結果の直接的な評価ではない点はよかったかと思います。

「おめでとう」は松岡さんの評価があった上での松岡さんの宮原さんへの称賛の気持ちですよね。

宮原選手の演技終了時の表情とガッツポーズを見た上で、「おめでとう」(ガッツポーズが出るような演技がオリンピックでできたことへの称賛)と言うのはアリだと思います。

 

 

 


アスリートへのインタビューの仕方について

 

アスリートへのインタビューのときに「達成感があると思いますが」と前置きするのも、嫌いです。

達成感を感じるのは選手自身で、選手はまだ「達成感があります」と言っていないからです。

 

 

最初は、ありきたりでも「今、どのようなお気持ちですか」と、ぼんやりとした問いが良いと考えます。

 

選手が「どのような…?」と考えて、なかなか言葉が出てこないこともあります。

でも、そのときの表情などが物語ることがあると思うのです。

興奮していたり、落ち込んでいたりすれば、すぐに言葉は出てきません。

 

そこでやっと絞り出した言葉に、選手本人の率直な、素直なその時の気持ちが表れるのではないでしょうか?

そこで出てきた言葉が「言葉にできないです」だったとしても、聞いている視聴者にとっては、貴重な言葉です。

 

「なにも言えねぇ」って北島康介さんが言った時、興奮とか言葉にできない気持ちを感じませんでしたか?

 

ソチでの「分からないです」、バンクーバーでの「長かったけどあっという間でした」と言った浅田真央さんの言葉、胸に刺さりませんでしたか?

 

これだけでは、選手本人の気持ちの詳細なんて、分かりません。

でも、その表情や口調から、色々、選手の気持ちを推し量りませんでしたか?

なにか、感じませんでしたか。

 

 

「言葉にできない」「分からない」を繰り返されたとしても、それはそれで伝わるものがあります。

喜んだ様子で「言葉にできない」と言っているなら、「喜びが爆発しているのでしょうか?」と次の問いで踏み込んでもいいと思います。

落ち込んでいるなら、選手のためにも、あまり引っ張らない方がいいと思います。少し時間を置いてから、どのような気持ちだったかを尋ねれば、「悔しくて仕方がなかった」「頭が真っ白になっていた」と、言葉にしてくれると思います。

 

 

 


スポーツ中継で感動演出はいらない

 

スポーツ中継で感動演出をしないでほしいです。

 

スポーツは感動の場面がいっぱいです。

でも、それって、お膳立てされて生まれる(生まれた)ものではありません。

感動ポイントは、人によっても違います。

 

 

平昌五輪のとき、選手が「感謝」という言葉を発する前に「感謝の気持ちを誰に伝えたいですか」と問うインタビュアーがいました。

これは、テレビ局が五輪中継・番組のテーマを「感謝」としていたからのようでした。

 

このテレビ局は「感謝の言葉を述べながら涙する選手」をイメージして、それが感動の場面であり、みんながその場面を見たい(だから視聴率につながる)という考えがあるのではないでしょうか。

もし、そうならば、二度とそんなイメージを持ってインタビューや番組作りをしないでいただきたい。

 

涙や感動は作り出そうとして生まれるものではないと思います。

 

スポーツ中継でテーマを決めたら、何が起こるか分からないスポーツ中継の醍醐味が失われます。

 

 

感動演出するのはやめてほしい。選手の率直な意見や評価、感情を聞きたいです。

 

 

 


選手は語らなければならないのか

 

選手は絶対に語らなければならないのか。

 

それは私達は何を求めているのかということと関係します。

 

メダル獲得を求めているのか。

選手が自己ベストを出す、ベストを尽くすことを求めているのか。

感動コメントを求めているのか。

選手が感謝する姿を求めているのか。

 

求めているものの正体は何なのか。

 

 

人それぞれ違います。

 

スポーツを見ている人もそれぞれだし、スポーツをしている人もそれぞれです。

 

それなら…

 

アスリートへのインタビューは、アスリートに合わせる方がいいのではないでしょうか。

アスリートが語りたいこと、伝えたいこと、言えること……を伝えるという姿勢でインタビューをするのがよいのではないでしょうか。

私はそれを望みます。

 

 

インタビューは時に選手にとって酷なことがあります。それでもインタビューをするならば、きちんと選手の気持ちが伝えられるようにしてほしいです。