ちょっと過激な表現を使う記事になりますが、心の底から「なんとかしてくれ」と思っていることを書かせてください。
【目次】
老人が若者を車で殺す社会
高齢者が運転する車が高校生や子どもを轢く事故が多すぎやしませんか。
高齢者が直接轢かなくても、高齢者が運転する車が変な動きをしたことがきっかけになって事故が起こって若い人が死んだり傷ついたりしていますよね。逆走とか。
これ、本当になんとかしてくれませんか。
80歳や90歳の老人が、子供や、10代20代の若者を殺して生き残っていくなんて、どこの絶望SF小説ですか。
超高齢化社会で将来の見通しが暗すぎる中で、さらに老人が若者を減らす。
80歳や90歳の老人が先に死ぬべきでしょう。順番はそうでしょう。
老人の利便性が若者の生命に優先されるなんて、あってはならないことでしょう。
生命を奪わなくても、交通事故で重体の状態になったら、元の体には戻らないんですよ。どこか痛いところが残ったり、傷が残ったりするんです。傷ついた体は、二度と元には戻らないんです。
老人が運転をしなくても暮らせる手当を
老人が運転をしなければ起こらなかった事故がたくさんあるじゃないですか。
どうして止めないんですか。
免許を取り上げてもいいと思いますよ。
行政が一定額まで無料のタクシー券とかバス券とか出したらいいじゃないですか。
若い人が一人死ねばとんでもない損失ですよ。若者が一人助かれば、タクシー代やバス代なんてペイしますよ。
不妊治療についてテレビでも新聞でも特集して、行政も助けてるじゃないですか。やっと生まれた子供が、高齢者に殺されていっているんですよ。子供を生かさないと。せっかく元気に生まれてきたのに。
予算裂きましょうよ。
私は親に車を貸さないことにした
家族が運転を止めていたのに
先日、85歳の男性が高校生二人を車ではねた事故のニュースで、事故当日も家族が運転を止めるように注意していたと報じられていましたよね。
きっと、この家族は車のキーを取り上げなかったことを後悔していると思います。
私の親の免許更新・高齢者講習
母が事故を起こした
私の親も高齢者講習が必要な年齢です。
母親は、昨年、免許の更新時期が来ました。
免許更新の半年前、母は車で事故を起こしました。
事故と言っても、他人の車に軽くぶつけた程度のものです。「かすった」程度と言ってもいいかもしれません。
保険を使わずに、実費で塗装代を支払って終わりました。
事故の原因は、母が目視を怠ったことでした。相手の方は、ただ、停車していたらぶつけられたという状態です。責任は「10-0」です。
母は、この事故を起こしたときには、「もう免許を返そう」と言っていました。
自分の不注意を自覚していたからでした。
免許更新が近づいて気持ちが変わる
しかし。
半年後、免許更新が近づくと、「やっぱり不便だから、更新する」と言い始めました
私は、強い口調で更新をしないように説得しました。
母がよく運転をする道路は、小学生(徒歩)や中学生・高校生(自転車)の通学路になっています。
その道路は、片側1車線ずつ、合わせて2車線の道路で、片側には歩道がありますが、もう片方には歩道がありません。しかも、片側にある歩道も、途中途切れているところがあります。
この道路は迂回する道もほぼないため、かなりの交通量があります。
こういう道路ですから、母には運転してほしくありません。
高齢者講習への不信感
なので私は、免許の更新に必要だった高齢者講習へ連れていくことを拒否しました。
講習が行われる自動車学校は、徒歩や自転車で行けるような場所ではありません。
しかし、私以外の家族が折れてしまい、連れて行ってしまいました。
講習から帰ってきた母は、講習で行われたテストの点数が良かったことを自慢しました。喜んでいて、「運転をしても大丈夫」という自信をつけてしまっていました。
私は高齢者講習はそんなものかと落胆しました。
高齢者講習のテストは、母の注意散漫なところを点数化してくれませんでした。
母は過去に複数回事故を起こしている
私が強く反対する理由の一つは、母が、20数年前から複数回事故を起こしているからです。
しかも、全て車同士の事故です。
母の不注意や「大丈夫だろう」「相手が止まるはずだ」という慢心のようなものが少なからぬ原因となっています。
いくらテストの点数が良くても、もともとの性格が、キレやすいとか、焦りやすい場合は事故の確率がぐっと上がるはずです。母を見ているとそう思います。
そういう性格に、加齢による認知機能の低下や反射機能の低下が加われば、事故の確率はかなり高くなるはずです。
こういう話を一生懸命母にしましたが、免許の更新をしてしまいました。
私の決意 私が管理する車を運転させない
これ以後、私にできることは、私が管理する車には乗せないことです。
私は、母にも家族にも言いました。「私の車は絶対に運転させない」と。
車のキーは、必ず私のカバンの中に入れるようにしました。
家族にも「中学生を殺したりするようなことがあったらどうするの?責任取れないよ?車を貸したら、所有者まで責任問われるよ?ニュースにもなるよ?」と言いましたが、家族は母に車を貸しています。理由は、「買い物や送迎を言いつけられるのが面倒だから」です。
私は交通事故を恐れている
家族みんな危機感がなさすぎだと思っています。
車は、自分も他人も殺すことができる道具です。包丁なんかよりも簡単に。ちょっとした不注意で誰かがすぐ死にます。
そういう道具だから、不安要素があったら使っちゃだめなんです。
交通事故で死んだ身内がいるのに、なんでそんなに楽観的なのか理解できません。
あの時、家族みんな絶望の淵に立っていたのに。
さらに、私の周辺では、友人が高校生の時に車に轢かれて、一時、意識不明の重体になりました。
頭を打っていて、意識が戻った後も、しばらく混乱状態に陥っていました。
その後回復しましたが、学校を長期休んでいたので、進級と卒業にかなり苦労していました。学校復帰後、もう休めない状態でした。体調が安定しない中、登校を続けるのは大変だったと思います。
こんなことは起っちゃいけないんです。
私は、本当は、車に乗りたくありません。運転したくありません。自分の不注意で誰かが重傷を負ったり死んだりすることが怖くて仕方ありません。
免許証にデジタル鍵的なものを入れて、車にもデジタル鍵的なものを付けて、両方が合わさらないと起動しない機能をすぐに付けてほしいし、法律で義務化してほしい。
さらに、この機能は外付け、後付け可能なもので、すぐに普及するようにしてほしい。