Twitterで「#あたしおかあさんだから」のハッシュタグ関連のツイートをいくつも見かけて、気になったので、歌詞を探して見てみました。
曲に乗った歌を聞いていないので、全体的な印象は分かりません。歌詞だけ見た感想です。
歌詞に特有の繰り返しに「あたしおかあさんだから」が使われているので、文字だけ読むと「怖い」印象を持つ方もいるだろうなぁと思います。
この歌詞に共感する人もいると思います。
「昔はあんなにしたいことがあったけど、今はそんなのすべて後回しにできる。大事なものができたから」っていう人、いると思います。
そう思っていたら、リツイートで春名風花さんのツイートが回ってきました。
それを見たら、「あぁ!」って。
はあちゅうさんそうじゃないです。大人ならそれでいいけど今回の視聴者は自分で聴く聴かないの選択権がない子どもだから『子どもに聴かせるときに』気をつけましょ、ということです。お母さんはあなたのために我慢してることはないよ、あなたが可愛いからそうしてるのよって話してあげたりすると良き! https://t.co/0NXPRmf1Vl
— 春名風花🍞 (@harukazechan) 2018年2月6日
このツイートで思い出しました。
私が小学生か中学生のころ、NHKのみんなのうたで流れていた歌のことを。
歌詞をぼんやり覚えていて、「たぶん、このタイトルだろうなぁ」と思って検索したら、当たりでした。
タイトルは、「きっとしあわせ」です。
この歌は、とても印象に残っています。
「あたしおかあさんだから」も「あたしおかあさんだから」が繰り返されますが、「きっとしあわせ」も「きっとしあわせ」が繰り返されます。
「あたしおかあさんだから」も「きっとしあわせ」も、この言葉自体に、なにか「含み」(もっと言えば「裏」)を感じませんか。
「きっとしあわせ」は、引っかかるんですよね。「本当にしあわせ」ではないんです。
みんなのうたって、絵が流れるじゃないですか。
絵がきれいな感じで、歌の雰囲気と合っていて、いい歌だと感じていた部分と、歌詞に引っ掛かりがあって、「大人って、大変なんだな」って思う部分がありました。
でも、伝えたいメッセージは他にあるとも思っていました。
「しあわせって気づきにくいもの」「しあわせって、何もないように思う日常そのもの」っていうことを伝えたいのかなって思っていました。
私はなんとなく、そういう風に受け取りましたが、「大人って忙しさに追い立てられてて、しあわせじゃないんだ」「大人になりたくない」って思う子がいても不思議じゃないなって思います。年齢によっては特に。
だから、大人のフォローが大切っていうのは、ほんと、そうかもしれないなって思います。
歌って、印象に残りやすいですからね(特に繰り返される部分は)。
「きっとしあわせ」、いい歌ですよ。
絵のストーリーも悪くなかったと思います。
ただ、歌詞をよくよく読んでみると、引っかかるところがあるっていうだけです。
でも、それが歌のあるべき姿かもしれないなって思うんですよね。
人間の感情とか、一筋縄ではいかないじゃないですか。
それを言葉や曲で表現したら、一筋縄ではいかないものが出来上がっても不思議じゃないかなって思うんですよね。
万人が共感できる歌詞とか小説とかありえないと思います。
だから、「あたしおかあさんだから」で、批判的な意見も出るのだと思います。
十人十色だから、「あたしおかあさんだから」を発表したって、それを批判したって、いいと思います。
意見を発信すれば、「あぁ、そんな風に感じる人がいるのか!」「そんな解釈の仕方があるのか!」って新たな発見をする人も生まれます。
ただ、「お互いの意見を尊重する」ということをおろそかにしてはいけないのかなって思います。