本日、平昌オリンピック、フィギュアスケート男子ショートプログラムが行われ、羽生結弦選手1位、宇野昌磨選手2位、田中刑事選手20位となりました。
長野オリンピックに16歳で出場されました。
そのときは、ショートプログラムで和風の雰囲気の演技をされていました。
演技後、リンクに投げ込まれた巨大なピカチュウを拾って抱きしめる姿が印象に残っています。
今から20年前。
衛星放送で、映像が荒いときもありました。
私がフィギュアスケートに注目するようになったきっかけはよく覚えていないのですが、おそらく、NHK杯の放送を見たのがきっかけなのではないかと思います。
そして、全日本選手権を優勝した少年がいると知って、本田武史さんに注目するようになったのだと思います。
長野五輪のときに本田さんが16歳ですから、その前のシーズンから、フィギュアスケートの放送を見るようになったのだと思います。
現在、宮原知子選手のコーチをされている田村岳斗さんも東北高校でした。
中学生だった私は、フィギュアスケート特集を組んだ雑誌を時々買ってもらっていました。
当時は雑誌の読者のページで、ファン仲間と繋がるコーナーなどがありました。
その中で、ファンの人と文通するために名前と住所を晒していた時代でした。
私が自分自身の住所と名前を雑誌に掲載してもらったのか、私が本田武史さん宛にファンレターを書いたのかは覚えていないのですが、おそらく、どちらかを実行したことによって、本田武史さんのお父さまから年賀状をいただくという、私にとって奇跡のような出来事が起こりました。
これが、実物です。
大切にしています。
年賀状をいただいたという事実だけでも驚いたのですが、なんと、一筆、書いてくださっているのです。
お知り合いの方にもたくさん書かれているはずなのに、私みたいな見ず知らずの中学生のクソガキにも丁寧に書いてくださったことに感激しました。
住所も宛名も手書きで丁寧に書かれています。
当時中学生の私ですら、ご家族のサポートに驚かされました。
勝手に好きになって、勝手に仲間を募ったり、勝手に応援したり、勝手に期待を押し付けたりしてるだけなんだから、本田くんのサポートだけして、私のことなんかほっとけばいいのにって思いました。
本田武史さんが現役選手時代はずっと学生で、お金をそんなに使えなくて、フィギュアスケートを会場で観ることは叶いませんでした。
テレビを見て応援することだけしかできませんでした。
そんなクソガキでしたけど、ずっとフィギュアスケートが好きです。
今日の羽生くんや宇野くん、田中くん、ハビエル、ボーヤン・ジンを見て最高に楽しめたのは、本田武史さんのおかげです。
トリノのとき、フィギュアをよく見ていた友人と、「日本女子の最有力は荒川さんだ」と話して、金メダルを喜ぶことができたのも。
バンクーバーで高橋くんの男子シングル初のメダル獲得に喜んだのも。
織田くんのジャンプの着氷の柔らかさを見るのがクセになったのも。
バンクーバーの真央ちゃんに涙して、ソチの真央ちゃんに大号泣したのも。
他にも世界各国たくさんの選手の演技を楽しんで見られるのも。
すべて、本田武史さんのおかげです。
そして、年賀状をくださったことに大感激して本田くんを応援し続けたことでフィギュアスケートを見続けることになりました。
これは、本田武史さんのお父さまのおかげです。
本当にありがとうございました。
今は、TwitterなどのSNSで選手本人と繋がれる時代です。
大変な時代になったものです。
中学生の頃の私では想像できない夢みたいな話です。
そして、このような1枚のはがきをいただくことも、夢みたいな話でした。