ふりゆくもの

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M-1グランプリの審査員の視点について

 

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M-1グランプリ2018の決勝を見た。

 

放送が終わってからTwitterを見たら、上沼恵美子さんに対してキツイ言葉を書いているツイートをたくさん目にした。

そして今日、上沼さんがM-1の審査員を引退すると宣言したという記事をYahoo!で見た。

そういうのを見て、頭の中でM-1を振り返ってみたので、ブログに書いてみることにした。

 

 

上沼さんが審査員から抜けることは残念。こらからもM-1を長年続けていくとなると、いつかは抜けるときがくるんだけど。

 

ネタを見終わったあと、「上沼さんなら高得点付けそうだな」という予想がよく当たった。

上沼さんはたぶん、審査をするにあたって、「漫才を見せてくれ」というスタンスだったと思う。

ここで、上沼さんが期待する「漫才」は、王道の漫才。漫才の型を重視する傾向があったと思う。

 

どういうことかというと。

「漫才」だから、基本は二人。ボケとツッコミがある。「つかみ」がある。「フリ」があって「オチ」がある。

こういう基本の型がありつつおもしろいというのを期待していたんじゃないかな。

 

あとは、ネタのテーマが万人に分かりやすいとか。

漫才は聞くお客さんがいて初めて成り立つから、お客さんを置いてけぼりにしたらいけない。何の話をしているか分からなかったら、お客さんは笑えない。だから、ネタのテーマ選択はとても重要。

そんな中心軸の考えがあるんじゃないのかと思う。

 

 

ただ、上沼さんは直後のコメントで言葉が足りないところはあるかもしれない。だから「好き嫌い」で判断しているように見えるんだと思う。

実際に「好き」とか「嫌い」って言うから余計に誤解されるんじゃないかと思うけど、上沼さんの「好き」は、人間が好きとかいうんじゃなく、上沼さんの持つ漫才の軸にハマりつつ面白い=好き、ということだと思う。「嫌い」は、上沼さんの軸から外れた漫才。「それは漫才じゃない」「面白くない」が「嫌い」で言い表されるんだと思う。

 

 

反対に、オール巨人さんは説明が的確で、審査員の中では最も言葉が足りていたと思う。

和牛のネタへのコメントの中で「聞きやすい」と言っていたけど、お客さんが置いてけぼりにならないためには必要なことだと改めて気付かされた。「えっ?何て言った?」ってなったら笑えないし。そういうことに気づかせてくれる審査員だと思った。

 

言葉は足らなかったかもしれないけど、上沼さんが「ミキの自虐ネタは突き抜けてる」って言ったの、なんか分かる気がする。

自虐ネタは扱いがとても難しいと思う。ちゃんと自分のキャラを分かっていないと上手く扱えないと思う。自虐を聞いた側が引いちゃったり反応に困ってしまうと笑えない。

笑いは楽しい笑いでないといけない。

自虐は明るくないとダメっていうのはそういうことだと思う。

ハゲネタでいえば、トレンディエンジェルは二人とも明るい。明るくポジティブな雰囲気を作ってる。

南海キャンディーズ山里亮太さんも声が高めで明るく自虐してますよね。

そういうのが見てて楽しくなる自虐かなと思う。

ミキは弟と兄のキャラとネタと語調の勢いで上手く盛り上げられたんじゃないか。

それでも、自虐っていうだけで不快感を覚える人はいるから、やっぱり扱いが難しいテーマだと思う。髪が薄い人はハゲネタを嫌うかもしれないし、太っている人は「デブ」って聞くだけで嫌な気持ちになるかもしれないし。

 

選ぶテーマは重要だと考えているということを上沼さんは言いたかったのかもしれない。

 

 

巨人さんも、「型」重視に寄っているかなと思う。ただ、上沼さんよりは新しさとか将来性を重視する立場なのかなと思う。

「型」があって初めて「型破り」があるというスタンスというか。

でもそれは、立川志らくさん以外はそこは軸としてあったのかな。

 

 

「場の盛り上がり」について審査員からコメントが聞かれることが何度もあったけど、お客さんを置いてけぼりにしないことを重視してたんだと思う。

お客さんとの共感や一体感も重視してるんじゃないかと。

 

霜降り明星は予測しきれない面白さがあって、畳みかけるようなテンポがある。このテンポについていければ、一体感が得られる。

和牛のゾンビのネタとオレオレ詐欺のネタは、「予測できる面白さ」も盛り込んである。ゾンビのネタだったら、終盤、水田さんが「おーーーー」って言いだした瞬間、何が起こったか分かった人が多いはず。オレオレ詐欺のネタだったら、お母さん役の川西さんが苦しみ出したとき、その先の予測をして、的中した人が多いのでは?さらにその上を行った息子の部分でいい意味で裏切られた人も多いのでは?ここに共感みたいなものがあると思う。

「予測できて期待通りの結果になって笑える」と「予測したけど期待以上の意外な結果になって笑える」と「予測できなくて笑える」があって、霜降り明星は「予測できなくて笑える」に振り切ってて、和牛はバランスよく取り入れた感じだったかな。

霜降り明星と和牛は、ひたすらボケとツッコミで勢いに乗るタイプと、上手く組み立てられたネタで勝負するタイプ。

だからきっと、最終決戦で霜降り明星と和牛とで悩んだ審査員は多かったと思う。

ボケとツッコミの嚙み合わせに唸れば霜降り明星を、ネタの上手さに唸れば和牛を、という選択だったのかもしれない。

ジャルジャルは、面白いんだけど、「型」重視とは違うタイプだから、「漫才」No.1を決めるとなると違う…という判断をされたのかもしれない。)

 

 

志らくさんは、「王道は当たり前で、悪く言えば見慣れているものだから、せっかくの若手の漫才賞レースなら新しいものを見せろ」というスタンスだったのかな、と。そっちの方向に振り切れてる審査員が1人入っているのもいいと思う。

 

 

みんな真摯に審査していたと思う。

 

 

M-1を見終わって、そんなことを考えてた。